尊敬というよりは「認める」が丁度いい
毎日、アファメーションをして、自己評価(エフィカシー)を高める作業をしていると
「尊敬」という言葉に、なんだか違和感を感じるようになった。
「尊敬」って
「あの人は憧れで、自分の届かぬ存在であり、抜かすことを考えることすらしていない」
っていうニュアンスを感じちゃうんです。
(これはあくまで自分の内部表現であり、そうではない人も全然OK。)
私たちは、アファメーションをして、自己評価を高めることで、どんな高いゴールも達成できるようになってる。
科学的論理的に「あの人にはできるけど、自分には到底できない。」ということは、まったくないということ。
独身の頃、女優の長○川京子が大好きで
「長○川京子の彼氏だって人間。そいつにできて、自分にできないことなんかない。だって人は平等なんだから。ただ、自分はその方面を目指していないだけで、目指せば自分にだってできる。だから、自分と付き合ったっていいじゃん、ただ出会いがないだけ。出会いがあればチャンスはある!!」
と本気で思ってた。笑
話しがそれた。
何を言いたいかというと、どんな人でも、自分のゴールを達成できるということを意味していて、人はみな平等だということ。
なのに、届かぬ存在を認めた瞬間、私たちは、人は平等ではない、ということを認めてしまっていることになる。
この世界はそんなはずはない!!
だけど、自己評価が低いと、盲目的に信じ込んでしまったり、依存してしまったり、その人の機嫌を損なわないようにと卑屈になってしまったり、いいことはひとつもない。
しっかりアファメーションを行って、自己評価を高めていれば、どんな人とも
堂々と、リラックスして、お付き合いができる。
このことが分かっていれば、「尊敬」というよりは「認める」という感覚が分かってもらえると思った今日このごろ。
本日のアファメーション
人はみな平等。
自分だってできる。やればでできる。当たり前だ。
ただその方面は自分のゴールではないからやっていないだけ。
自分のゴールについては誰よりもNO.1にできる。